分類:地球人

3月 23, 2008 at 8:08 pm コメントをどうぞ

今日のシアトルは朝は雨、その後くもり、夕方晴れでやや強風の天気でした。 

さて、

アメリカに来てから、自分の中の感覚や価値観がいい意味で変わったと感じたことがいくつかあります。

そして、その本質の部分を経験をすることは決して外国に来ないとできないわけではなく、日本に住んでいても、”なぜだろう?”っていういい意味での探究心や好奇心があればそれを経験できるし、感じることができるものであって、自分がそういう目で見てこなかっただけなんだということを気づかせてくれました。実は自分が自分の中に勝手に作った「常識」というフィルターで自分の思考回路の自由度を奪っていたということ。

私はレベルの高い人間ではなく、お馬鹿なグループに属するので、他人の失敗からではなく、自分自身でおかした苦い経験、直接的経験からしか学べないので、人から見るとそんなの当たり前じゃんってなことに気づき、理解して、行動に移すのが遅いです。
でも、同じお馬鹿なグループに属する人は他にもきっといると思うので、お馬鹿同士、仲間として私が感じたこと、学んだことをレポートします。

ちょっと重たい話のようですが、海外で暮らすこと、新しい経験、新しい出会いが私にもたらた一番大きな収穫の一つと感じたこと。それは、私達は「地球人」ということです。地球で暮らす共同体。

その昔、うちのおばあちゃんは韓国の方を毛嫌いしていました。その当時、おばあちゃんに「なんで嫌いなの?」って聞いてもきちんとした答えが返ってきませんでした。それはきっと第二次世界大戦や、歪んだ日本社会が生んだ残念な姿でしょう。嫌な経験をしたのかもしれません。でもそれは韓国人全体として見てはいけない。一部の人間だけを見て韓国人を嫌いになる理由なんて全くないじゃない!韓国の人たちにも素晴らしい人はいっぱいいるはず!って胸を張って言うと、周りから、地域の人たちから、日本の社会から裏切り者のように見られたのかもしれません。おばあちゃんが社会で生きていく上で、そういう思考にならざるを得ない状況だったのかもしれません。周囲とうまく、心地よく暮らすために、言い争いを避けたかったのかもしれません。そこで一人突っ張っても、これはおかしいと思っていても、それを改善する行動に移せる自分がそこになかったら、行動に移せない自分を責め続けないといけなくなって、毎日が苦しくて生きていけません。人間が”生きる”をするために、環境に適応する術を身に付けてきたと考えるなら、うちのおばあちゃんがしていたこと、感じていたことは、それは人間が動物である以上自然な話で、苦しまないためにそこの感情のスイッチを切る、その部分については無感情になって、周りに合わせるのは自然の流れだと思います。だから、おばあちゃんが悪い訳ではない。おばあちゃんは、自分、家族、地域、共同体の和、バランスを崩さないためのことをしていただけ。実際、誰かを傷つけたりした訳ではない。

なぜ私がそんな話をするかというと、私自身うちのおばあちゃんと同じだったんだなとアメリカで暮らすようになって、経験をして初めて意識できたということをお話したいからです。

こちらに来てからのある日、周りは白人の方ばかりで、英語がうまく話せずコミニュケーションに非常にストレスを感じていました。もともと外国人、英語コンプレックスがあったので、さらにストレスが大きかったかもしれません。そんな中、その多くの白人の中で髪の黒い、目の黒いアジア人を一人見つけたとき、「仲間だ!」ってすごく嬉しく思ったのを憶えています。その方は韓国から移民した方で、お互い母国語ではない英語で話しましたが、この人なら私の下手な英語を、自分を理解しようとしてくれそうだっていう根拠のない安心感がありました。
生きていく上で仲間がいると思える安心感ってすごく大きいと思います。その安心感をその韓国人の方がくれたのです。
日本で産まれ故郷を離れて暮らしていたときは、同じ町の出身、同じ県の出身、同じ地方の出身の人に会うとなぜか同郷という共通点だけで仲間、自分の理解者、サポーターという安心感や喜びを抱いたことがあります。

ここアメリカで到底日本人がいないようなところで、面識のない日本人の方と会って話をすると、その方の出身が北海道だろうが沖縄だろうが、まるで久しぶりに近所の人に会ったように嬉しくなります。

同じ学校 → 同じ町 → 同じ都道府県 → 同じ日本人 → 見た目が同じアジア人 → 髪が黒い、目が黒い人種 → 同じ外国人(見た目は関係なく、英語や文化の違いで苦労してる人) 

といった流れで、仲間意識というか、同じ文化を共有してるというか、困ったときに協力を求めたくなる、優先的に協力したいと思える人達の枠が変わっていったのです。ちょっと言葉での表現が今ひとつかもしれませんがお許しを。

こうしたことから何を感じるかというと、もし世界中の人たちが私と同じ感覚を持てば、人が人を殺しあう戦争なんて起こらないであろうということです。

いつか未来で、宇宙というステージで他の星の人たちと交流するようになったとき、
「え!あたなも地球から来たの!?同じぃー!!」
「地球のどこ?」
「え?韓国?!すぐ隣りじゃなーい!」
「え?あなたは、フランス?そちらのあなたはブラジル?うちの従姉と親戚が住んでたんだよねー。」
てな会話が普通にあるでしょう。

うちわでお互いに殺しあう異常なことをしてる場合じゃありません。
同じ家に住む「地球人」ですからね。

あのとき、不安な私の心を支えてくれた韓国人の方、ありがとうございます!
当たり前のことの大事さを教えてくれたアメリカに、その機会を与えてくれた会社の方々へ、心からありがとうございます!!

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Entry filed under: Human、Life、Natuer, 海外生活.

Mt. Hood ~ Timber line 年がら年中スキー UWの桜さんたち

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